The Protestant Sects and the Origin of Human Rights: On the Concept of Max Weber's “Sect”
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http://hdl.handle.net/10105/9798Abstract
There are only a few scholars who have dealt with the view on human rights of Max Weber (1864-1920) so far. One of the main reasons is that he did not write the systematic work on human rights. But it does not mean that he was not interested in the subject of human rights. Weber was rather so much interested in some problems of human rights, such as religious toleration, religious liberty, freedom of conscience, equality before the law, and suffrage. In particular, like his colleague Georg Jellinek (1851-1911), he showed interest in the subject regarding the origin of human rights and was engaged in it. The purpose of this paper is to discuss Weber's view on the origin of human rights, especially, on the historical and theoretical origin of freedom of religion. Three points made clear in this paper are as follows. The first is that there was a close relationship between the emergence of freedom of religion and the Protestant sects' doctrines. Weber often stressed the influence of their doctrines and demands on the acquisition of the right to freedom of religion. The second is that the historical materials for Weber's formation of “sect” in the sociological sense mainly depended on some works written by historians and theologians in the second half of the 19th century. They asserted the historical and political significance of the Protestant sects, such as the Baptists and the Quakers. The third is that an important motif Weber formed the concept of sect consisted in Jellinek's misunderstandings about the Protestant sects. Jellinek confused the Baptists (the type of sect) with the Calvinists or the Congregationalists (the type of church). The doctrines of Calvinism and Congregationalism in North America in the 17th century had the tendency to theocratic and authoritarian government.マックス・ヴェーバー(1864-1920)のプロテスタンティズムの倫理を基盤とする「資本主義の精神」論は、多くの研究者によって繰り返し論じられてきた。おそらくこれに関する全世界の論文数は千を優に超えるものと思われる。しかし、ヴェーバーのプロテスタンティズムの倫理を基盤とする人権論を論議してきた研究者は極めて少ない。その主たる要因の1つは、彼が人権についての体系的、組織的な著作を残していないことである。しかし、このことは彼が人権というテーマに関心がなかったことを意味しない。むしろ事態は逆である。彼は存命中、宗教的寛容、信教の自由、良心の自由、法の前の平等、そして参政権等の人権の諸問題に正面から向き合った。特に、彼の同僚、ゲオルク・イェリネク(1851-1911)と同様に、人権の起源に関する問題に関心を抱き、積極的にそれに取り組んだのである。本稿の目的は、これまで「ヴェーバリアン」を始めとする多くの研究者によって等閑視されてきたヴェーバーの人権の起源論、とりわけ「信教の自由」、「良心の自由」の歴史的、理論的起源についての彼の見解を検討することである。これはヴェーバーの提起した「資本主義の精神」論のいわば法学版と見なすことができる。本稿で検証したことは以下の3点である。第1は、信教の自由の形成とバプティストやクウェーカーに代表される17世紀プロテスタント諸ゼクテの教義との間に密接な関係があったことである。ヴェーバーは再三再四、ゼクテの教義、主張、そして要求が、近代の「信教の自由」や「良心の自由」の獲得に大きな影響を与えたことを強調した。第2は、ヴェーバーの社会学的、理念型的意味におけるゼクテ概念形成の歴史的源泉および諸資料が、19世紀後半の歴史学者や神学者の幾つかの著作にあったことである。19世紀後半にすでにヴェーバーが提起した「ゼクテ」類型と「教会」類型の先取りがなされていた。その意味で、一部研究者によって主張されてきたエルンスト・トレルチ(1865-1923)のヴェーバーの教会・ゼクテ類型に与えた学的影響力は、比較相対的に小さいと考えられる。最後に第3 は、ヴェーバーがゼクテ概念を形成しようとした重要な動機の1 つに、プロテスタンティズムのゼクテに関するイェリネクの誤解があったことである。イェリネクはゼクテ類型であるバプティスト派やクウェーカー派を、教会類型であるカルヴァン派や会衆派と混同した。イェリネクが信教の自由の獲得に貢献した人物として高く評価するロジャー・ウィリアムズ(1603-1683)は会衆派に属する人ではなく、ヴェーバーの言うようにバプティスト派に属し、晩年には様々な宗教的教派から自由になった人である。17世紀の会衆派は、マサチューセッツ湾植民地で神権的、権威主義的統治を推進した宗教的多数派であり、宗教的少数派の信教の自由、良心の自由をむしろ抑制する側にあったのである。
Date
2013-11-30Type
紀要論文Identifier
oai:near.nara-edu.ac.jp:10105/979888
1
81
奈良教育大学紀要(人文・社会科学)
http://hdl.handle.net/10105/9798
05472393
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