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Abstract
津田左右吉は、「儒者の講説するやうな道徳的教訓」は「武士の道義心」醸成にはあまり寄与しなかったとする。しかし、渋沢栄一や荘田兵五郎といった起業家に見られる儒学的公益意識や、一般には洋学者と目される福沢諭吉における漢籍の素養、さらには武術一辺倒の幕臣と認知される山岡鉄舟などにおける徂徠学、経書の素養も明らかであり、幕末武士への儒学の影響は否定できない。しかし一方で、たとえば『太平策』にある「(武士が)柔弱の公家とな」ること、「町人らしくな」ることへの強烈な批判は、徂徠学における戦闘者的素養の重視を物語る。『山鹿語類』にある「親疎貴賤に不因、其の可改所を改め可糾事をたゞして、不諂人不世従の謂也」との文言は、惑溺と公式主義への真っ向かあらの批判であり、朱子学の道理の普遍主義にも通じるものである。また、武士の責任意識を実働させ得る胆力や能動的行動エネルギーを醸成した要素は、兵学教育、武道鍛錬、さらには法・制度、そして慣習に顕れるところの規範による薫陶であった。武的鍛錬の藩学カリキュラムとしての導入は、戦闘者的心身の構造的保持メカニズムの一角の装置化であり、責任意識や自立性を観念次元でとどめることなく実働させ得る”土台”(勝海舟)である。兵学においても、「生死の大事に至りても動転な」き「棟梁の如」き胆力を錬磨するための養気・発気の手法(『乙中甲伝』)が教えられる。
世の泰平化に従い、兵書の多くは儒学的洗練の度合を深める。その一方で、徳川儒者の書の多くに武人的気概の尊重がみられる。ここに、近世武家社会における儒、兵、そして戦闘者的習俗といった要素の相互規定性の一端を見ることができるといえよう。
さらには「家訓」では、「血気に犯され」るは「未練の士」と批判される一方、武士が「死べき場所に臨て」「最後迄も取りしづめて、常々の心の如く聊もせきたる」心を保持することが尊重されている(『明君家訓』)。近世武家社会は、文と武双方における教育、「士法」としての兵学の伝授、法(家訓、法度など)、制度と慣習の諸要素の構造連関をもって武士的徳目と行為の再構成を可能せしめる反射炉的媒体「場」として機能し、責任意識や自律性、そしてそれを実働させ得る胆力や能動的行動エネルギーを擁する精神=身体性の再生産を可能にしていたといえよう。翻って「士道」的徳育は、戦闘者的能動性を保持しつつも、「血気に犯される」暴力性を制御するに寄与したと考えられる。斯くなる社会的メカニズムは、武士がスタティックな儀礼主義と古典教養をコアとする”読書人的”文官官僚となることを許さず(丸山真男)、「大業を成」す勇力(福沢諭吉)を彼らのうちに保持せしめたといえる。
Date
2005-10-31Type
Departmental Bulletin PaperIdentifier
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日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要, 31, 47-68(2005-10-31)
9150900
AN10088118
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